長野県松本市立奈川小中学校様【バーチャルまちあるき語り部】実施レポート

■実施概要

【日時】2022年2月18日 14:50~16:00

【団体名】長野県松本市立奈川小中学校様

【人数】 9名

東日本大震災から11年が経過しました。
被災して多くのもの失った南三陸町は着実に復興に取り組んできました。話し合いを重ね、その度に結論を出し、一歩ずつ進んできた南三陸町。しかし、まだ結論が出ていないこともあります。その1つが震災遺構です。震災遺構は当時の被害の様子を伝えていくために、重要な役割を持っています。しかし、震災を経験した人たちにとって、震災遺構は辛い記憶を思い出させる要因にもなりうるのです。

今回は長野県松本市立奈川小中学校のみなさんが360°カメラを用いた映像を見て、現在のまちの様子や震災当時のことを学ぶ、バーチャルまちあるき語り部を体験しました。

今回の語り部は後藤伸太郎さんです。後藤さんは震災後、避難所運営に携わり、現在は町議会議員として活躍されています。参加者は事前に南三陸町の震災後の様子や防災対策庁舎をめぐっての町の議論について学んできたそうです。防災対策庁舎についてのお話を詳しく聞きたいとの要望に沿って、後藤さんの語り部は始まりました。

360°のVR映像はさんさん商店街からスタート。後藤さんは映像の画面を右や左、時には真後ろに動かすと、一緒に辺りを見渡しながら歩いているような感覚になります。映像はさんさん商店街を通り、中橋へと進んでいきました。中橋を渡ると赤い鉄骨の骨組みだけが残る、旧防災対策庁舎が見えてきました。

防災対策庁舎は南三陸町役場の行政庁舎の1つで、震災や津波などの災害時に、防災の拠点としての役割を担うために建設されました。東日本大震災発生時、役場職員は災害情報の受信システムや防災無線がある防災対策庁舎に集まり、災害対策本部を立ち上げ、防災無線で住民に高台避難を呼びかけていました。しかし、当初想定されていた6mを大きく上回る約16mの津波は防災対策庁舎を飲み込み、庁舎にいた町職員を含む計43人が命を落としたのでした。

「当時、屋上に避難した人から伺った話です。50人くらいの人がこの防災対策庁舎の屋上に避難しました。しかし、屋上を越える高さの津波が来たそうです。気がついたときには自分の周りには10人しかいない、そんな状態だったそうです」

中橋を渡り切ったところで、後藤さんは映像を一時停止しました。

「震災当時の防災対策庁舎の様子を映した写真がこちらです。映像とまったく同じ位置に防災対策庁舎の骨組みだけが残っています。町並みすべて瓦礫で埋め尽くされています」

参加者のみなさんは、現在の町並みと災害直後の町並みの違いに驚いている様子でした。現在の復興の様子を感じるとともに、当時の悲惨な状況を実感したようでした。

映像を再生し、旧防災対策庁舎の真下まで来ました。鉄骨が色々な方向に折れ曲がっている様子が見られました。

「津波は1回だけではなく、第2波、第3波と来ました。海からやってくる押し波、それから陸地から海へ引いていく引き波が混ざって、様々な方向から押し寄せてきました。庁舎の鉄骨がこのように曲がっているのはそのためです」

現在、旧防災対策庁舎は宮城県の管理下にあり、震災遺構として2031年まで保存されることが決まっています。後藤さんは防災対策庁舎をめぐる町の議論についてお話されました。

「実は震災の直後、町では一度解体することに決めました。この場所で命を落としてしまった人の家族や知人たちが庁舎を見たくない、これがあると暗い気持ちになってしまうと声を上げたからです。しかし、町の外から、震災のことをこんなにリアルに伝えてくれるものだから、残してほしいという声もありました。本当に壊していいのか、それとも残した方がいいのか、大人たちはたくさん悩みました。一度、町で解体すると決めた後、町民からも少し考えませんかという声が挙がりました。『壊すことはいつでもできますが、失くしてしまったら、津波の脅威や被害を伝えていけるでしょうか。この後南三陸町に生まれてくる子たちの命を、同じような災害から守れるでしょうか』という請願が町の議会に届きました。まだ結論は出ていません。2031年までにこの庁舎をどうするのか、そして震災を知らない子たちにどのように震災を伝えていけばいいのか、町民みんなで議論を進めているところです」

後藤さんは町議会議員として、町民のいろいろな意見を聞くそうです。その上で後藤さんは、どちらの意見が正しいということではない、と言います。大事なのは災害に備えることを忘れないこと、あの時何があったのかを伝えていくことだ、と語ってくださいました。参加者の皆さんは真剣な面持ちで耳を傾けていました。

その後も震災復興祈念公園の頂上まで、ご案内いただきました。町並みをぐるっと見渡すと、海から旧防災対策庁舎の屋上までどれくらいの距離と高さがあるのか想像することができました。参加者の方は、現地にいないにも関わらず、震災当時の様子や現在の町の様子をリアルに感じることができたようです。

語り部が終わった後、参加者のみなさんから、多くの質問が寄せられました。

「震災前と後で、人々の暮らしや考え方で変わったことはありますか?」

「被災した建物が観光資源になるのはいいことなんですか?」

後藤さんは自分の体験や町民から聞いた意見や話を紹介しながら、丁寧に回答してくださいました。

大事なことはあの時何があったのかを伝えていくことだ、と語っていた後藤さん。このバーチャルまちあるき語り部も伝えていく手段の1つだと思います。2031年以降、旧防災対策庁舎がどうなるのかは分かりません。どちらの結論になったとしても、このバーチャルまちあるき語り部のようなプログラムを通して、あの時何があったのかを伝え続けて欲しいなと感じました。

 

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