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海とともに、
生きるまち。

14.鹿子躍

2.7メートルもの高さのササラ、伊達家より拝領の九曜紋や輪違紋が染め抜かれた衣装、神々を描いた艶やかな「流」、そして八ツ又に枝を広げた鹿の角。その姿は、まさに東北の聖獣。
南三陸町戸倉地区水戸辺に伝わる行山流水戸辺鹿子躍(ぎょうざんりゅうみとべししおどり)である。

1600年代に始まり、伊達家から家紋を拝領したこの躍りは、6代目から現岩手県一関市(旧相川村)の吉田猪太郎のもとで42代にわたり継承されてきた。
 
昭和57年、道路工事の最中に享保年間に彫られた石碑が発見される。その石碑に刻まれていたのは「奉一切有爲法躍供養也」という言葉。「生きとし生けるものの供養のために躍る」と記された石碑は、この水戸辺こそ行山流鹿子躍の発祥の地であるということを証明するものだった。

現在の行山流水戸辺鹿子躍保存会会長の村岡賢一さんは、その石碑を見て、鹿子躍の復興を誓った。そして、一関市舞川の行山流舞川鹿子躍の故小野寺千治会長に教えを乞う。400年にわたる人々のリレーを経て、平成4年に鹿子躍は、その誕生の地・水戸辺で復活したのである。
 
しかし、鹿子躍は再び危機に瀕する。東日本大震災である。大津波で集落の何もかもが流された絶望の淵で、奇跡は起きた。瓦礫の中から、鹿子頭や太鼓が見つかったのである。

水戸辺の人々は老いも若きもひとつになり、犠牲になった人たちの供養のために、生きとし生けるものの鎮魂のために躍った。鹿子躍が、地域の人々の勇気を奮い立たせたのである。
 
生命への感謝と供養のために、南三陸の人々は躍り続けている。

>>>行山流水戸辺鹿子躍復興の物語

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