自然災害と向き合う2日間の語り部ツアー(津波浸水エリアバス車窓案内~午後便~)

■津波浸水エリアバス車窓案内(午後便)
■実施概要
【日時】2022312日 13301500
【人数】11名

今回は、3人の語り部の案内の下、震災から12年目を迎えた町の様子を見て・歩いて・話を聴く特別企画「自然災害と向き合う2日間の語り部ツアー」を実施しました。ツアーは3つのプログラムで構成されています。1日目には津波浸水エリアバス車窓案内を午前と午後に行い、2日目はまちあるき語り部を行いました。
住民の数だけ体験談があります。今回のツアーで案内してくださった3人の語り部は、回る場所から話す内容、すべてが異なります。3人のそれぞれの体験談が、皆さんの普段生活している地域で起こりうる自然災害や災害が起きた時の避難計画について、改めて考える機会になれば幸いです。

午後便の語り部は後藤新太郎さん。漁業を営む新太郎さんは、両親とともに作業場でわかめの加工作業をしていたときに被災したそうです。自宅や船、養殖筏が大きな被害を受けて海の仕事ができなかったため、震災後は隣町に引っ越し、別業種に勤めました。その後、南三陸町へ戻り、漁師の仕事を再開。現在は若手漁師のグループ「Sea Boys」の一員として活躍されています。今回は、震災当時、新太郎さんが実際に避難した道を歩きながら、当時の体験や震災後の漁業について、お話いただきました。

さんさん商店街から出発したバスは戸倉地区の波伝谷港へ到着。バスから降りると、漁船が並ぶ海と工事中の高い防潮堤が目に入ります。波伝谷港にある作業場で、新太郎さんは被災したそうです。
「地震が来た時はあまりの揺れに作業台にすがっていました。揺れで建物が歪むような音が聴こえてきました」
地震が収まったあと、作業場の裏道を少し上ったところにある自宅へ避難したそうです。新太郎さんの自宅には近所の方も集まっていました。しかし、大津波警報が出たため、ここも危ないのではと考えて、みんなで一緒に山の方に避難することにしたそうです。

新太郎さんの案内の下、当時避難した道のりを歩いてみました。
「昼間の避難だったからよかったんですけど、夜だと避難できたのかなぁって。今は綺麗に整備されていますけど、当時は竹も生い茂っていて獣道みたいな感じでした。私は近所のおばあさんをおぶりながら避難したんですけど、後ろから竹がバキバキって割れる音や瓦礫が混ざる音が聞こえてくるんです。その音を聞きながら上っていきました」
当時より整備された道とはいえ、新太郎さんが案内した避難路は急な上り坂でした。道の両脇には竹がそびえ立っていて暗く、街灯もない様子でした。参加者の方は、新太郎さんが昼間の避難でよかったと思う気持ちに、納得しながら歩きました。

坂を上ってたどり着いたのは神社でした。ツアー当日は天気が良かったので、神社から真っ青な海が一望できました。しかし、当時ここから見えた景色は今とまったく違うのだと、新太郎さんは語ります。
「どんどん辺りが暗くなってきて、海もどす黒いような感じでした。そして、雪が降ってきて…。当時、ここから撮った写真がこれです」
新太郎さんが見せた写真は引き波の様子でした。津波には押し波と引き波があります。引き波が大きければ大きいほど、次にくる押し波も大きいと言われています。
写真には、雪が積もって白くなった木と2つの島が写っていました。島がなければ、そこに海があるのだと気づけないくらいに辺り一面の海底が露出し、茶色一色です。一見すると、海と陸の境界線が分からない様子に、寒々しさと恐ろしさを感じます。参加者のみなさんは驚きの表情で、写真と景色を見比べていました。

震災当日、新太郎さんは神社で一夜を過ごしたそうです。
「波の音が聞こえて、夜は眠れなかったですね。朝になってから、みんなで山を降りて、地域の避難所に避難しました。普通なら1時間くらいで着くと思うんですけど、半日くらいかかったんです。道もなくて、瓦礫を避けながら、お年寄りや子供たちに歩幅を合わせて歩きました」
その後、避難所での生活が始まってからも、余震が多くて眠れない日が続いたそうです。避難所生活の後、新太郎さんは隣町へ引っ越し、漁業とは違う職に就きました。しかし、南三陸町の海に戻りたいとの思いから、町へ戻り、再び漁師になる選択をしたそうです。

新太郎さんの案内の下、神社から降りて、海の近くまで歩いてきました。小さい頃から、漁師である両親の仕事を見ていた新太郎さん。朝早くから長時間働くのが当たり前だった漁師の仕事が、震災後に大きく変化したと言います。新太郎さんは海の方を指差しました。
「あちらに浮き球があります。あれは牡蠣の養殖棚なんです。震災前は、こちらの写真のような過密養殖になっていました」
写真には、今よりもたくさんの浮き球が浮かぶ海が写っています。震災によって、一度海での仕事ができなくなったことで、南三陸町の漁業に携わる方々は、子供や孫の世代にも引き継いでいける、持続可能な漁業を目指して復興を進めたそうです。戸倉地区の漁師は、安定して生産できる漁場が大切だと考え、養殖方法を見直しました。養殖量を以前の3分の1に減らしたところ、育つのに数年かかっていた牡蠣が1年でも立派に成長するようになりました。その結果、震災前よりも漁師の収入は安定し、働く時間も短くなったそうです。養殖方法の見直しは、日本初のASC認証取得にも繋がりました。

参加された方からは
「避難路を歩いてみて、綺麗に整備されていても結構きつい坂道だった。新太郎さんがおばあさんをおんぶしながら逃げたっていう実体験を聞きながら歩いたことで、当時の避難はこんなもんじゃなかったんだろうなと感じた」
「海の仕事をまたやろうと戻ってきたという話に驚いた。地元の海や仕事を大切にしているんだなと思った」
との声がありました。

案内の途中、新太郎さんは参加者の方と災害時の避難について意見を交わしていました。一度被災経験をして、無事に避難できた新太郎さんでも、もしこういう状況だったらどうするか、いろいろな可能性を考えているようです。
「東日本大震災が夜に起きていたら、もっと被害拡大していたんじゃないかなって思いますよね。もちろんライトとか非常用のものは準備していますけど、準備していても対応できるのかどうか日々考えます。心の準備はしていなくちゃいけないなと思います。また来るかもしれないって気持ちは持っていないといけないなと思っています」

今回のプログラムでは地震と津波の体験についてお話しいただきました。しかし、起こりうる自然災害は、土砂災害、火山噴火、豪雪、洪水など、地域によってさまざまです。自然災害は突然起こります。普段から、様々な状況を想定して、どうすべきか考えることが大切なのだと、新太郎さんの話から感じました。自分の周りでどんな自然災害が起こりそうか、今一度見つめ直すきっかけになれば幸いです。

コメントを残す